2022年09月16日

《黄帝内経》の脈診 第110回

3.《終始第九》その2


【原文】B−2
 脈口一盛、病在足厥陰、一盛而躁、在手心主。脈口二盛、病在足少陰、二盛而躁、在手少陰。脈口三盛、病在足太陰、三盛而躁、在手太陰。脈口四盛、且大且数者、名曰溢陰、溢陰為内関、内関不通死不治。



【要約】人迎寸口脈診法で何経に病があるか判定する。


【訳】
 寸口脈が人迎脈より一倍(2倍)大きいものは、足厥陰肝経に病がある;もし一倍大きく騒動するならば、手厥陰心主経に病がある。寸口脈が人迎脈より二倍(3倍)大きいものは、足少陰腎経に病がある;もし二倍大きく騒動するならば、手少陰心経に病がある。寸口脈が人迎脈より三倍(4倍)大きいものは、足太陰脾経に病がある;もし三倍大きく騒動するならば、手太陰肺経に病がある。寸口脈が人迎脈より四倍(5倍)大きく大数のものは、溢陰という。溢陰とは陰気が内で盈溢して、陽気を外へ格拒するので内関と称える。内関は陰陽両気が交通できない死証である。


【解説】
1)脈口一盛、脈口二盛、脈口三盛と経脈の対応関係。
 《素問・六節蔵象論第九》で説明しましたが、もう一度確認しましょう。
 厥陰・少陰・太陰は陰気の多少で区別され、陰気の多さは厥陰〜少陰〜太陰へと増えていきます。そこで陰気の偏盛に従い脈口脈の拍動も盛んになり、病の所在も厥陰、少陰、太陰と変化していきます。




【原文】B−3
 人迎与太陰脈口倶盛四倍以上、命曰関格、関格者与之短期。



【要約】人迎寸口脈診法の死亡脈を示している。


【訳】
 人迎脈と寸口脈がともに正常脈象より四倍(5倍)以上のときは、陰陽ともに盛んであり、互いに格拒するので、関格といい、関格になれば間もなく死亡する。



次回は《五十営第十五》、
掲載予定は10月1日です。




posted by k.yamada at 08:38| 脈診 舌脈セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月01日

《黄帝内経》の脈診 第109回

3.《終始第九》その1

【原文】A−1
 謹奉天道、請言終始、終始者、経脈為紀、持其脈口人迎、以知陰陽、有余不足、平与不平、天道華矣。
 所謂平人者不病、不病者脈口人迎応四時也、上下相応而倶往来也、六経之脈不結動也、本末之相遇、寒温之相守司也、形肉血気必相称也、是謂平人。



【要約】人迎寸口脈診で平人と病人を弁別する。


【訳】
 自然法則を根拠に起始と終始の原理を話しましょう。終始とは、十二経脈を綱紀として、脈口と人迎の脈診を行うと、人体の陰陽の有余か不足、そして平衡か否かを知ることができ、その脈象は天地陰陽の変化に応じている。
 平人とは無病の健康人である。無病のものは脈口と人迎の拍動が四時の変化に応じている、そして上部人迎と下部脈口の拍動は絶えず往来して、手足三陰三陽経脈の拍動は結代なく動揺せず、本(臓気)末(肌体)は互いに関係しており、(本末の)表裏は寒温により互いに失調しないよう守る働きがあるから、外の形肉、内の血気は互いに調和している、これを平人と謂う。



【原文】B−1
 人迎一盛、病在足少陽、一盛而躁、病在手少陽。人迎二盛、病在足太陽、二盛而躁、病在手太陽。人迎三盛、病在足陽明、三盛而躁、病在手陽明。人迎四盛、且大且数、名曰溢陽、溢陽為外格。



【要約】人迎寸口脈診法で何経に病があるか判定する。


【訳】
 人迎脈が寸口脈より一倍(2倍)大きいものは、足少陽胆経に病がある;もし一倍大きく躁動するならば、手少陽三焦経に病がある。人迎脈が寸口脈より二倍(3倍)大きいものは、足太陽膀胱経に病がある;もし二倍大きく躁動するならば、手太陽小腸経に病がある。人迎脈が寸口脈より三倍(4倍)大きいものは、足陽明胃経に病がある;もし三倍大きく躁動するならば、手陽明大腸経に病がある。人迎脈が寸口脈より四倍(5倍)大きく大数のものは、溢陽という。溢陽とは陽気が外で盈溢して、陰気を内に格拒して外出させない、だから外格と称する。



【解説】
1)人迎一盛、人迎二盛、人迎三盛と経脈の対応関係。
 《素問・六節蔵象論第九》で説明しましたが、もう一度確認しましょう。
 少陽・太陽・陽明は陽気の多少で区別され、陽気の多さは少陽〜太陽〜陽明へと増えていきます。そこで陽気の偏盛に従い人迎脈の拍動も盛んになり、病の所在も少陽、太陽、陽明と変化していくという考え方です。



2)躁とは何か?
 躁とは脈象のことで、《素問》の中では《脈要精微論》《平人気象論》《三部九候論》《奇病論》の四篇にあります。《霊枢》では《終始第九》《禁服第四十八》にあります。
 《脈要精微論》では躁脈の注釈はありません。
 《平人気象論》では王冰説:躁とは、煩躁を謂う。馬蒔説:躁は、動の甚だしいもの。王冰の注では躁を煩躁としているが、《霊枢・終始》・《霊枢・禁服》等の篇を按ずるに、“一倍而躁、二倍而躁”などの言葉があり、躁とは本来脈のことを言い病気のことを言っているのではない。張介賓説:躁とは、急疾を謂う。
 《三部九候論》では楊上善説:脈拍の去来が躍動して速いのを躁という。
 《奇病論》では王冰説:人迎躁盛とは、喉頭隆起両側の脈動が盛んで速いことを謂い、非常に躁速であり、胃脈(足陽明胃経の動脈)である。
以上から躁脈の脈象は、拍動が盛んで速い脈です。つまり陽盛による脈と考えられます。



3)なぜ脈躁で病が手三陰三陽に相当するのか?
 張介賓の説を紹介します。
 張介賓説:人迎は足陽明脈。一盛・二盛は気口より一倍二倍大きいことをいう。陽明は表を主り三陽が流行するので、人迎一盛は足少陽経に病がある。もし一倍に躁動が加われば、陽中之陽であり、上にある手経の少陽に病がある。二盛・三盛は、足に病があり、騒動すれば手にある。以下これに倣う。……脈口は手太陰脈。太陰は裏を主り、三陰が流行するので、脈口一盛は足経の厥陰に病がある。もし躁動が加われば、陰中之陽であり、上にある手厥陰心主に病がある。二盛・三盛はみな足にあり、騒動すればみな手にある。



4)外格とは?
 人迎が盛んで四倍になり、大きく速くなるのは、陽気が外に充満して、陰気が外出できないように格拒(阻む)しているので外格といいます。


次回は《終始第九》その2
掲載予定は9月15日です。





posted by k.yamada at 06:07| 脈診 舌脈セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月16日

《黄帝内経》の脈診 第108回

2.《根結第五》


【原文】D
 一日一夜五十営、以営五臓之精、不応数者、名曰狂生。所謂五十営者、五臓皆受気、持其脈口、数其至也。五十動而不一代者、五臓皆受気。四十動一代者、一臓無気。三十動一代者、二臓無気。二十動一代者、三臓無気。十動一代者、四臓無気。不満十動一代者、五臓無気。予之短期、要在終始。所謂五十動而不一代者、以為常也、以知五臓之期。予之短期者、乍数乍疏也。



【要約】寸口脈診で間歇的停止の回数から五臓の衰亡を知ることができる。


【訳】
 経気は一昼夜で身体を五十周運行して、五臓の精気を栄養している。もし五十周に満たないならば、これを狂生という。五十営というのは、この働きで五臓はみな気を受けており、脈口を按じその拍動数を数えれば、その運行状況を知ることができる。五十回拍動して一度も停止しないものは、五臓はみな気を受けている。四十回拍動して一度間歇的に停止するものは、一臓が気を受けていないことを示している。三十回拍動して一度間歇的に停止するものは、二臓が気を受けていないことを示している。二十回拍動して一度間歇的に停止するものは、三臓が気を受けていないことを示している。十回拍動して一度間歇的に停止するものは、四臓が気を受けていないことを示している。十回に満たず一度間歇的に停止するものは、五臓が気を受けていないことを示している。これらのことから死亡時期を予測することができ、その要点は《終始篇》の中で詳しく述べられている。五十回拍動して一度も停止しないものは、正常状態であり、このことから五臓の状況を知りことができる。死期を予測する中に脈拍が速くなったり遅くなったりするものも含まれる。


【解説】
1)代について
 本篇では、間歇的に停止する脈のことです。
 《黄帝内経》で代脈はいくつかの解釈があるので紹介しておきます。


《素問・平人気象論第十八》:“長夏胃微耎弱曰平。弱多胃少曰脾病。但代无胃曰死。”
【訳】長夏の脈は胃気があり微かに軟弱さを帯びる脈が正常脈である。軟弱な脈が過剰で胃気が少ないものは脾病である。軟弱で胃気のないものは死脈である。
[解釈]この代脈は軟らかい脈を指します。ただし、胃気のない脈だから正常な脾脈ではありません。


 《素問・三部九候論第二十》:“其脈代而鈎者、病在絡脈。”
【訳】脈代(さまざまに変化する脈)で鈎は絡脈に病がある。
[解釈]この代は脈拍が不安定で脈象がさまざま変化する脈を指します。


 《素問・宣明五気篇》曰:“五脈応象:肝脈弦、心脈鈎、脾脈代、肺脈毛、腎脈石。是謂五藏之脈。”
【訳】五臓の脈象は、肝脈は弦(軟らかく真直ぐで長い);心脈は鈎(緩和で来盛去衰);脾脈は代(緩和で軟弱);肺脈は毛(軽浮で虚、まるで羽毛のよう);腎脈は石(沈んでいるけれど拍動がしっかりと触れる脈);これが五臓の脈象である。
[解釈]この代脈は正常な脾脈を表し、脈が軟らかく脈拍が緩和な脈です。


 以上《黄帝内経》では、四通りの意味があります。@脾脈を指し緩和で軟らかい脈;A脈拍が停止してすぐに回復しない脈;B脈拍が不安定で脈象がさまざま変化する脈;C柔らかい脈です。


2)一臓とはどの臓?
 《難経・十一難》曰:“経言脈不満五十動而一止、一臓無気者、何臓也?然人吸者随陰入、呼者因陽出、今吸不能至腎、至肝而還、故知一臓無気者、腎気先尽也。”
【訳】第十一難曰く:医経で脈拍が五十回に満たず間歇的に停止するのは、一つの臓の気が無いと言われているが、それはどの臓なのか?答えて曰く:吸気するとき気は深く肝腎の陰分へ入り、呼気するとき気は心肺の陽分から外出する。いま吸気時に気が陰分の腎に到達できず、肝に至り上へ返還されるので、一つの臓に生気が無いことが分かり、腎気が先に衰える。


 《難経・十一難》の呼吸と脈拍の関係から、腎気の衰えが最初に間歇的停止を引き起こすと説明されているので、一臓とは腎を指します。
 二臓とは、吸気は肝腎の陰分へ入るので、二臓は肝腎を指します。
 三臓とは、呼吸の定息であるから脾を加え、三臓は脾肝腎を指します。
 四臓とは、呼気は心肺から出るので、四臓は心脾肝腎。五臓は肺心脾肝腎を指します。



次回は《終始第九》その1を紹介します。
掲載予定は9月1日です。



posted by k.yamada at 11:23| 脈診 舌脈セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする